南足柄 クリスチャン 30歳 二児の母 日々のレポート
奉仕、信仰で
奉仕、信仰で

奉仕、信仰で

この数年、教会の中で奉仕をやっている人を見て、羨ましいと思ってきた。

でも、輝かしく見えるどの働きを見ても、自分にできると思うものはなかった。

楽器、歌、PC、勉強、何かをつくること、教えること。

でもこんなにも神に愛され造られた自分に、与えられているものが絶対にある。

今はわからないし、想像もできないけれど、その信仰は少しずつ強められていき、神様に静かに祈りながらその時を願ってきた。

 

そして、3年ほど前、子どもに仕える奉仕が目の前に来た。

そこに参加するかどうかを決断するまでに、確か少し時間がかかったと記憶している。

神関係以外で考えると、いくらでも決断は揺らぐことを知る時だった。

だけれど主がその中においても導き続けてくださり、わたしは主にこたえることができた。

与えられている信仰でいけば良いのだと、確信が与えられたから。

 

「信仰が賜物だとどうして思わないの?」

何年も言われてきたこの言葉は、今、神への信仰告白と変えられている。

でも、かつての自分はどうして思わなかったのか。

それは、神関係以外で考え、求めていたからなのだと、振り返ってみて思う。

 

今、この奉仕の場に立たされるたびに、主がこの信仰を導き、使おうとしてくださっている、いや、使ってくださっているのだと、いつも神関係が豊かにされる。

わたしは最高の賜物を頂いているのだ。

 

かつて大学を卒業する時、わたしは児童福祉に携わりたいと願っていた。

だけれど、主がはっきりとその道を閉ざした。

よく覚えている。人をダメにするクッションに座り、導かれたその時のことを。

まずは信仰の土台をしっかり築くこと。そのためにまず座って御言葉を学ぶ。それから立って。そして歩きだす。

そこに時間をかけることを導かれた。

 

あれから長い年月が経ち、分野は違うけれど、子どもという小さな存在に関わり、ひたすらに愛するチャンスがゆるされている。

信仰で立たされているという主のわざ。ハレルヤ。

 

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