むすこたちの中に、変化を見る日々。
「よく考えたね」
とほめれば、
「人間は考えることができるって先生が言ってたんだよ!」
と教えてくれる。
「最近ありがとうがたくさんですごいね。なにかあったの?」
と聞けば、
「感謝が大事だって先生が言ってたから」
と答える。
先生が言ったことを、その通りに行っている。そして、ほめられたら、「先生が教えてくれたの」と言う。
自分と神との中に、これがどれほどあるだろうか。
「神がそう言ってるから」「聖書がそう言っているから」「神がそう教えているから」
天の父が語られている通りに、わたしはしているだろうか?
教えられていることの中で、すべてをしているだろうか?そこから逸脱しているのに平気でそこに居続けてないだろうか?まるで神がそう教えているかのような雰囲気で、意見や行動をしていないだろうか。
褒められた時には、「神がそう教えているんです」と答えているだろうか。栄光をどこに帰しているだろうか。
今、神ご自身の言葉を慕い求める思いが増し、個人的にみことばに触れる時間が自然と増えている。
以前から、家庭の中には具体的に迫ってくる会話がある。
「どこのみことばでそう思ったの?」「どこのみことばで力を受けたの?」と。
いつも「そんな具体的に答えるのは難しい」と言って、「だってそう聞いたから」「だってそうだと思うから」「だってそう教えられたでしょう?」などと答えている自分に出会ってきた。
なんと感覚的で抽象的な姿だろう。
だけれど、むすこたちの姿を通して、「神がどう教えているか」「みことばが何と言っているか」
そこに真摯になり、実行していくことを神に力強く導かれている。
みことばに親しみ、みことばで生きていく。
「神の言葉はそう教えているから」
いつも動機がそこにあり、思いがそこにあり、天の愛する父に喜ばれる子として歩めますように。
祈りと御言葉に包まれる日々。
