「天の父の喜ぶことで考えようよ」
そのような導きを頂いた。
心や頭のどこかにはいつもそれがあると思っていたのに、これを導かれた時には、それで歩んでいない自分の現状に出会った。
一人主の前に出た時には、ごめんなさい。
愛する主の前で心からごめんなさいをした。
主が喜ぶとどこかで思っていた思いや考えは、父を喜ばせるものではないことを、教えられた時だった。
優しい主の導きの中で、それを教えられ、向きを変える時でさえも主の憐れみの中にあることを、感謝した。
「天の父が喜ぶこと」に集中し、焦点を合わせ、歩もうとする時には、自分の中に様々にある、天の父が喜ばないものが明確になっていく。
そしてそれらを、削除、削除、削除。
しかしまた翌日になれば、また何か出来事が起きれば、また出てくる。
その度に、天の父が喜ぶことを目指す祈り、主との交わりをさらに求める。
それを繰り返す過程の中では、天の父が喜ぶことを目指したいと願う自分の気持ちにも出会った。
これを願う思いも、それを可能にするのも、御霊が内におられるからで、
イエスキリストの十字架、葬り、復活により、わたしは天の父に繋がることがゆるされたことを、主に心から感謝した。ハレルヤ。
「何に生かされている?」
与えられている位置的真理を思い起こさせられた。
主につながるために、日々主ご自身の教えを通して導かれる環境、人が与えられていること、それを助け導く御霊がおられること。
三位一体の唯一の主に感謝と栄光を。
