神以外のものを第一にすることは偶像礼拝。
このことについて、自分は大丈夫とどこか思っていた部分があった。
神様のことを大好きだし、こんなにもこの方に愛されているし、と。
でも神はわたしの中にずっとあった、偶像となっているそれをもちろん知っておられ、今回、とても強い力によってそこに砕きを与えてくださった。
砕かれた。
この告白に至るまで、長い時間がかかってしまった。
「いつになったら元気になるの?」
「いつまでそうやっているの?」
落ち込んでいる人に対して、いつも抱いていたこの言葉が、今度は自分にかかってくるほどに。
人はこんなにも簡単に心を病ませることができるのだと、思い知らされた。
その深く病ませたその心と考えに、満ち満ちる癒しと回復を与えたのは、神ご自身の言葉だった。
わたしの日々には、神の言葉が、神の確かな規律の中で語られる環境が与えられている。
求める時も、塞ぎ込んでいる時も、神は語り続けてくださった。
それが積み重なっていく。
その日々の中の、ある日。
コリント人への手紙を通して、
「どんな問題があっても、わたしたちは神によって召された聖徒だ」
と語られた。
御霊が導き、与えられたこのアイデンティティを、主への感謝と共に、思い起こさせられた。
欠けだらけの自分を責めることしかできない塞ぎ込んだ日々を過ごしていたが、
この瞬間、神の御手の中で、聞く耳と受け取る心が、再び開かれていった。
ようやく、神以外に第一としてしまっていたそれを、神の前に持っていった。
どうしても第一にしてしまうそれを、神は「もうやめなさい」と、わたしにはっきり、繰り返し、語っている。
これまで神の前に持っていけなかった理由があったが、この御言葉がそれをすべて解決した。
“しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。”第二コリント12:9−10
ハレルヤ。
神にごめんなさいをし、向きを変える力さえも、神の慈しみのゆえ。
この方に生かされていることを心から感謝した。
いつも、どんなことの中でも、誰との間でも、神を常に第一にする信仰生活を送ることを、神はわたしに願っている。
主からのこのメッセージを大切に受け取った。
それは、神によって日々直面させられるあらゆるすべてのことを、この方への祈りと感謝に変えていく。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8:28
