どうしてもだめな存在がいた。
話そうと思っても、心も思いも顔も全部のシャッターが閉じてしまう。
日々神様との関係が深められていく中で、このことも当然神に話し、伝えている。
だけれど、このことからなかなか抜け出せない。
それは日に日に強くなっていき、わたしのあらゆるシャッターがその存在に触れるたびにどんどん閉じていく。
はじめは怒りという感情で支配されていたけれど、神に祈る中でそれが少しずつ変化し、
神の教えと自分の思い、その二つを知っていく。
「相手に変わって欲しいわけではない。でもどうしてもだめ。」
「隣人を愛しなさい」という神の教えにどうしたって至れない自分。
もうどうしよう。。
そんな思いが強まったある日の朝、子どもたちを送り出した後、一人スタバへ行き、神の前にしずまった。
神との交わりを心から求めていた。
心にあるすべてをもってしずまったその瞬間。
神がわたしのすべてを解いた。
その瞬間、だ。
神がそうしてくださった。
心にあった沢山のことが、一気に解かれた。
ゆるすとか、その存在が何か変わったから、とかではない。
受けたのは、神からわたしへの“解き”だった。
相手が変わったのではなく、神がわたしを変えてくださった。
これが神のわざだ。
わたしの中にあった様々な思いや状態を、解いてくださった。
自分ではどうにもできなかった「もうだめ」というその思いが、神によって解かれた。
しかも一瞬にして。
あまりに偉大な主の力を味わい、その感謝はひたすら主への賛美となった。
もう一つ導かれたことがあって、それは、その存在をだめになってしまう理由もきちんと伝える必要があるということだった。
それを伝える中で、またその理由がいつもどおりに堂々と大胆に顔を出した。
少し前の私なら、これに触れた瞬間シャッターを閉じてしまっていただろうが、この時わたしは神に解かれているゆえに、神との平安の中でそれを聞くことができた。
対人関係でまず大切なのは神関係。何度も教えられてきたこのことが、体験となった。主に感謝。
人を変えるのではなく、神がわたしを変えてくださる。
あまりに慈しみ深い主のご性質。わたしはこれから先も、この恵みを味わう人生が与えられているのか。
なんという楽しさ。なんという幸せ。ハレルヤ。
