月に一度、一つのミーティングがある。
その一ヶ月奉仕をして、課題に感じたことや抱えているものをあらわす時間だ。
とはいえ、あらわしたら当然導かれるので、そのことを考えるとあらわさない理由も立派に思いつく。
だけれど、わたしにはあらわす理由も明確にあり、
それは、神に立たされている奉仕の現場で、神が日々多くのことをわたしに見せるから。
何ヶ月かミーティングに参加してわかったことがある。
それは、自分のあらわし方(思い・考え)には、パターンがあるということだった。
「こう教えられているんだから、みんなこうあるべきじゃないの?」
「こんなにも受けているのに、みんなはどうしてそうしないの?」
自分が恵まれ、受け取っていることを、他の人にも求めている自分の姿を知った。
そして、そうすることが良い、と心のどこかで強く思っていたことにも気づかされた。
ここでわたしが失っていたのは、
“神がわたしに示したことを⇨神によって受け取り⇨神によって実践する。”
ということだった。
多くをあらわしても、いつも導かれるのは共通して「あなたがしなさい」。
神に示されたなら示されているわたしがやればいい。いや、そうすべきなんだと。
導かれた直後は、まだぼんやりしていた部分もあった。だけれど、神との日々の交わりの中でこのことがじわじわと自分の中に落ちていき、「最初から最後まで神関係で行きなさい」という主のメッセージを確かに受け取った。
失っていたこのことを主は時間をかけて教えてくださった。
わたしの神は、導き続けてくださる主だ。
何をあらわしても、神のところへ行くよう導かれているこの日々を主に感謝した。
この感謝は、次への力となる。
