聖書の学びを通して、自分と神との関係が、希薄であることを教えられた。
信仰によって。神によって。
そう口にすることは簡単で、そうであるかのように見せたり、そうであるかのような自信を持って歩んでいたことを神に告白した。
神を愛していながらも、自分がそんな状態であったことがどうしようもなく苦しく、悲しく、精神も、体調も、いつもより更におかしくなった。
でも、今からスタートだ。
まず何をするべきか。祈りを始めた。
そして「祈り」がもっともっと必要であることを教えられた。
不安なことや嫌だと思うこと、体調が少しでも悪くなる、疲れをおぼえる、そんな時私はまず考える。考えて、また考えて。終いにはネットの世界へずぶずぶと。どうにか自分に心地の良い答えを探すけれど、見つからないからまた考える。
この時こそ祈るのだ。考える前に神に話す。神に委ねる。それを始めた。
すると、祈る瞬間はあまりにも多く、神にアクセスする機会は絶えずある。そして結果を神によって見る。
感情が豊かすぎてしまってまだいくらでも落ち込めるけれど、私の信じる神の言葉は、人を落ち込ませるものではなく、前進と喜びを与え、神関係を豊かにしてくださるもの。
今それを味わっている。