私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえようとしてくださったのです。
兄弟たち。私は、自分がすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、
キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。
ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。
ピリピ3:12−16
主の御手の中でしずまり、祈る中で、このみことばに導かれ、わたしは癒された。
しばらく前に進めなそうだ、進みたくもない。そんな中でのことだった。
導かれたことを受け入れられなかったり、過去の言動や振る舞いをこうすれば良かったのか、といくらでも考えたり、多くのことをゆるせなかったり。
だけれど、神の言葉は、前に進め、と言っている。神が明らかにするよ。その地点から、ひたすらに前に進みなさいよ、と。
じわじわと、だけれど一気に、主の愛と癒しが心に満ち、前に進む力を主はくださった。
この日以降も、当然さまざまなことがある。
だけれど、このみことばがわたしを前に推し進める。
後に戻ろうとする自分の弱さを、前に前にと引っ張ってくれる。
みことばが力であり、わたしの癒しだ。
この告白へと導かれた。主が素晴らしいお方。
