黙示録を学んでいる。
この日も、あらかじめ読んで備えていたが、「きっと自分には理解が難しい」と感じ、助けを求めた。
必要な努力だと思いたかった。
しかし、「信仰によって受け取ってきてよ。」
その一言で送り出されてしまった。
「やっぱり」と思った自分がいた。信仰以外を求めたその瞬間を、主は見逃すはずがない。
これによって、与えられている信仰を思い出し、御霊によって聞くことができる、その確信に満たされ、礼拝へと向かった。
結果、御霊の働きと導き、助けによって、語られる一つひとつを受け取ることができた。
主を心から礼拝した。
しかしもし、知識と理解を携え、あるいはそれらを求めて御言葉を聞きに行っていたとしたら。
礼拝の席に座っていたとしたら。
一体何になっただろうか。
そこに主を礼拝する姿勢が、あっただろうか。
おそろしい。
信仰以外を求めると、いつもブロックされる。
神の絶対的な守り以外他ならない。
「信仰がすべて」。
そこへいつも導き、それを使って進むことを教えてくださる主にハレルヤ。