一人の人の「寂しさ」に出会った。
やるべき仕事もたくさんあったけれど、主が与えた時だとすぐにわかり、感謝と共に祈りながら、その人と対話を続けた。
これまで見たことのない表情でそれを教えてくれた。
いったいどれほどの寂しさであっただろう。
主がこれまでも、今も、そしてこれからも、その人のすべてを知ってくださっていることを、まず感謝した。
人にはわからない心の奥深いところも、主はご存知で、そこに共にいてくださる方だ。
愛に満ち満ちた優しい主の温もりを、この瞬間、私自身が深く味わった。
そして、このさみしさを通して、主に出会うことができますように。
御霊に導かれるままに、祈らされた。
救いに至る道は人それぞれにあることを、たくさんの救いの証を聞く中で教えられ、恵まれている。
主がその人を愛し、主がその人個人に働かれるのだと。
主が与えた、この「さみしさ」との出会いは、その信仰をさらに強めた。