教会に与えられている一人ひとりの存在を覚え、祈る日々が与えられている。
連絡を取り、祈り課題を聞き、祈る。
その中で思い起こさせられた御言葉はこれだ。
「こういうわけですから、もしキリストに合って励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」ピリピ2:1−4
自分に欠けていたものを、この御言葉を通して、教えられ、導かれた。
自己中心的な視点や見解、それらのものから解放された。
そして今、私の内に、深い喜びが与えられている。
その人だからこそ味わっている神との世界を、祈るということを通して共に味わえる喜びだ。
神がその人だからこそ語っていることを、見せてくださっている世界を、祈らされていることを。
神が愛しておられるその人を、その人に与えられている喜びを、訓練を、試練を、たたかいを、その日々を。
愛と尊敬のゆえに聞き、知り、祈ることを、神は教えてくださった。
もっと祈れる。祈らせて欲しい。何を祈ったら良いか。
主がこの思いを与えてくださった。