南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート

教会に与えられている一人ひとりの存在を覚え、祈る日々が与えられている。

連絡を取り、祈り課題を聞き、祈る。

 

その中で思い起こさせられた御言葉はこれだ。

「こういうわけですから、もしキリストに合って励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」ピリピ2:1−4

自分に欠けていたものを、この御言葉を通して、教えられ、導かれた。

自己中心的な視点や見解、それらのものから解放された。

 

そして今、私の内に、深い喜びが与えられている。

その人だからこそ味わっている神との世界を、祈るということを通して共に味わえる喜びだ。

神がその人だからこそ語っていることを、見せてくださっている世界を、祈らされていることを。

神が愛しておられるその人を、その人に与えられている喜びを、訓練を、試練を、たたかいを、その日々を。

愛と尊敬のゆえに聞き、知り、祈ることを、神は教えてくださった。

 

もっと祈れる。祈らせて欲しい。何を祈ったら良いか。

主がこの思いを与えてくださった。

 

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