南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
感情・理性・霊
感情・理性・霊

感情・理性・霊

「いらない感情を置き、いらない理性を置き、霊によって見、考えることができますように」

そう祈られた。

 

この人と話をすると、いつも涙が出る。下手したら、会った瞬間に泣ける。

神を深く愛し、それによって自分の内面に触れる人だからだと思う。

悲しいのか、苦しいのか、感じるよりも前に涙が出るので、「なんで泣いているのか」と聞かれても「わからない」。

祈られ、導かれても、泣きじゃくるわたしに、何度もこの祈りの通りに、感情的にならず、落ち着いて霊によって考えることを、支えてくれた。

必死にいらない感情を置くようにと、祈りつつその時間を過ごしたが、結局最後まで涙は出続けた。

 

それからの数日、この祈りが自分の祈りとなり、ひたすらこれを主に求めた。

 

ある日、長男の姿を通して、自分の姿にハッと気づかされた。

泣き虫な彼は、泣き叫んで話す時が多くあるので、その度にわたしは「泣かないで落ち着いて!ちゃんと話して!」と、パニックになっている彼に落ち着くよう、うながす。(そんな自分が一番パニックだろう)

いや、これって泣きじゃくって混乱するわたしじゃん、、

ハッと気づかされる。

感情的になっていたら、神様から与えられている状況を正しく見ることはできないんだ。

 

ますます祈りが深まる。

 

夫によく、「もっと自分を客観的に見な?どうしてそんなに自分中心なの」と笑われる。

笑われるほど感情的なのか、、ケラケラ笑う彼を見て、理性を取り戻す。

いらない感情を置き、いらない理性を置き、霊によって考えられるように。

感情が先立つ癖は、すぐに出てきてしまうけれど、この祈りが自分を支え、その瞬間に気づき、主に助けを求めるようになった。

すると、神にあって、霊にあってみるならどうなるか、を見るように導かれる。

まだまだそれを繰り返している。

 

自分は感情的な人間だから、と諦めたり、開きなおることではなく、主にあるなら、それらのバランスも与えられるのだ、と神様からの励ましを受けた。

このバランスは、主の計画と導きに集中する助けとなった。

祈られている恵みと、信じて祈れる恵みに感謝。

 

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