教会に与えられた子どもたちとの時間を終え、帰宅。
1人静まり、神に祈る中で導かれたのは、
わたしはあくまで種を蒔く者。実を結ばせるのは主である。
ということだった。
そのバランスを祈らされた。
「自分はこう言えたから、こうできたから、今日はよかった。」
あるいは、「自分はこうできなかったから、今日はだめだった。」
そこには神がなく、自己の満足に過ぎない。
実を結ばせ、成長させてくださる神をおそれ、信じる。
この方の偉大さの中に、包まれている。自分は種を蒔く者にすぎない。
このバランスの中で、与えられたつとめを果たすことができるように。
導かれるままに祈らされた。