仕事を始める準備のため、ハローワークへ行った。
子ども二人を置いて、一人で世の人々と関われるこの非日常的なことに、胸は高鳴る。
必要なものをもらいにいく、という目的ではあるものの、
世の人々と関われるチャンスである。
言葉、行動に、緊張がうまれる。
自分の言動が、ふるまいが、神の栄光にふさわしいものだろうか。
立ち方、座り方にでさえ、緊張感が。
祈りつつ、窓口に座り、担当者の方と話す。
隣のあの男性でもなく、奥のあの女性でもなく、わたしにはこの担当者の方が与えられたんだ。
感謝がうまれる。
担当者の方のための祈りがうまれ、そこにきている様々な人たちへの祈りへと広がっていく。
まだ救われていない人々に実際に会い、認識したことで、救いが起こされるように、という日々の祈りは具体的なものになる。
……
車に戻り、夫にこの時間のことを興奮気味に話すも、
「一体どうやったら家庭でもその緊張感がうまれるかねぇ」。
こうしたさりげない一言がすぐ出てくることに、妻への日々の忍耐を垣間見る。
……
神の栄光があらわされるように、と祈るが、
どんな時にでも、どんな場所においても、神の栄光にふさわしい歩みをしているのか。
そのチェックが必要であると学ばされ、祈りつつ自分自身に問うことがはじまった。