どんな一年だったか。
あまり前進のない一年だった。
実践や伝道を願いつつも、
自分の性質にとどまる日々だった。
一年を振り返っている今でさえ、主が何をしてくださったか、よりも、自分の停滞に目が行く。
礼拝でこれらをあらわして、帰宅し、1人静まり神様に話す。
これがわたしの主観であるし、事実ではあるのだけれど、主が与えてくださった一年に感謝もなければ、恵みを数えることもしていなかった。
主にごめんなさい。そして、御霊の働きによって恵みを思い起こし、感謝がじわじわーっと心の中に満ちていった。
主の恵みはいつもわたしのそばにあって、主の支えと励ましを、個人的にもたくさんあじわった年でもあった。
しかし、自分の大変さにとどまったわたしは、やっぱり自分が主役で、次に子ども、次にかろうじて夫?というような状態だった。
なぜこんなにも前進がなかったか?
それは、自分の性質がわるいものである
と言う認識がなかったから。
どこかで良い、これくらいなら大丈夫、これがわたし、平気だ。
そう思ってるから、性質に対してnoと言わないし、むしろそちらへどっぷりの歩み。
ひとつみことばを聞いて、ひとつ実践しても、それ以上の前進や継続はなく、当然解放もないために、また性質のままを繰り返す。
それをはっきりと教えられた。
この瞬間からわたしは、自分の性質が悪いものだ、という認識がはじまった。
特に買い物、お金。
これが、わたしの性質の最たるもの。
買い物を嫌うことがはじまった。
買い物は好きだし、たのしい。でも、わたしにとっては、主から離れるものだから、嫌うことが必要だ。
これを話すと、自力やhowtoだと受け取っていただくことも多々あり、参ったな、、と、、
しかしこれは、自力じゃなくて、御霊によってだからできることだし、御霊によって可能であると信じたから、わたしはこれを始めるのである。
そしていつも行くドラッグストアへいった。
行き慣れた店内が、まったく違う景色に見えた。
主から離れるための世の誘惑があまりに多く、わたしにとっては落とし穴だらけであることが、はっきり見えた。
しかしわたしは、主からの圧倒的な守りに包まれ、店内を歩き、買い物をした。
必要なものだけ。
大好きな買い物を嫌いになることも、性質にnoと言うことも、わたしの中には御霊が働いておられるから、できるのである。
御霊によってできる、という確信がわたしを強めた。
救われていることの喜びを味わう。
そして、2024年のわたしの課題。
性質にnoと言うこと。そして、ただただ御霊の声に聞き、従うこと。
もう一つは、1人の人を救いに導くこと。
それがだれかは、わからないけれど、わたしを通して救われる人が起こされることを祈り願い、街に出ていく。
神の深いあわれみと、愛と恵みに
……
ハレルヤ。素晴らしい主の御名を心からほめたたえます。
拙いブログを読んでくださったお一人おひとりに心からの感謝と、祝福を祈って。