南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
働く
働く

働く

いつだって外で働きたい人間である。

しかし、ただ子育てが嫌だから仕事をしたい、という動機では絶対に復帰しないと決めていた。

神によって家庭に入ることを選んだから、また神の時で働かせてください、という祈りがいつもあった。

仕事から離れて2年ほどが経つ。

「なぜ働かないのか?」と問われた。

わたしは「まだこどもが小さく、子育てがある。祈ってはいるけれど、まだ示されていないからです。」

ここから、導きをいただいて、考えることが一気にはじまった。

与えられている能力、賜物がある。時間がある。

なぜ使わないのか。

しかし、今は子育てがある。

むすこたちが小さいうちは一緒にいたい。今しかないこの時間をたっぷりと。

母親としてあって当然の思いではないか。

しかし、ではいつまで、わたしは言い続けるのだろうかと。

「まだ時じゃないんです」「まだ子どもがいるので」「まだ示されていないんです」。。

町につかえたい。この町で神を伝えたい。という思いがある。家庭の指針もそうである。

いつ、わたしはそれをはじめる?世がこんなにも滅びへ向かっているのに。

 

思いがぐちゃぐちゃだったので、導きを求めて夫と話す。

夫には、働くことの許可なんていらないとわかっていた。

「キリストにある」ということだけのルールでやっているわたしたちだから、キリストにある決断に、夫は「そっか」しか言わないことを知っていたから。

でも、夫が「働くべきだ」と言えば、きっとそういう方向で考えるし、

「いや、今は家庭に集中するべきだよ」と言えば、きっとそういう方向で考える。きっと。

なんとかどちらかを答えさせようと試みたものの、

「あなたの決断次第だよ」、ただそれだけ。

もっと多くの前進できる言葉を求めているのに、彼は困った顔でそれしか言わない。

わたし自身がが神との間で決断しないと、後で大変なことになるのを、彼はいつも知っている(経験している)。

「一つだけ言えるのは、やりたいことではなく、やるべきことをやるべき。そして、悩むことを楽しまないこと。」

そう言って、去って行った。

わたしのほしい答えは、絶対にくれない夫であることを、私はいつも忘れている。

 

自分の思いと、神に示されていること。

それをひたすら祈り続けた。

誰かに決めてほしい。誰か、言葉をくれ。

何度もそう思ったけれど、これは自分が神との間で決めることだと、何度も祈りに戻される。

悩むことに酔いしれてはいけない、と自分に言い聞かせながら。

そして、結論。

祈り会の中で、「神の怒りから、一人でも逃れることができるように。」

その祈りが導かれ、わたしはその瞬間、働くことを決めた。

小さな者だけれど、先に福音を聞いた者として、そこに用いられることを信じて。

そして、ぐちゃぐちゃだった思いも、

子どもと(ずっと)いたい=やりたいこと。
働く=やるべきこと。

そこに至った。

求めている条件は、この町につかえること。

そして、子どもを捨てない(週3で働く)(いくらでもわたしは仕事をしたくなってしまうだろうから。子育てとのバランスのために)。

この2つ。

子どもたちと一緒にいる時間が短くなる、ということが、最後まで手放せないわたしの思いだった。

でも、そこも神はわたし以上に知っておられるし、神によって満たされていくことを信じた。

四六時中一緒にいる今より、もっと豊かな時間が与えられるかも。。

この二つの条件、これがわたしの考えられる精一杯。あとは神に委ねる。

 

 

 

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