2週間ぶりに、聖書の学びへ参加ができる。
喜びと期待を持って、出かけた。
前進させてください。実践が与えられますように。
自分のひどく高いプライドを置いて、受け取ったことを正直にあらわすことができるように。
そして、牧師を通して与えられる神様の導きを大切に受け取ることができますように。
祈りながら歩いていく。
子二人を預かってくれる存在がなければ、わたしは参加することがむずかしい。
久しぶりであるゆえに、その感謝をますますおぼえる。
前進するために参加しているから、これ何か違うかも、と思っても、あらわす。(いや、大体ほぼそれでしかない)
でも、ずれていることは、導き手である牧師を通して、神様が必ず導いてくださる。
そこに前進があることを、毎回体験する。
何を言われるかこわい、と喋らずに、なんの決断もなしにふわふわと帰った日には、一晩後悔におそわれ何も手につかなくなる。
チャンスを失ったと。
だから、チャンスをつかむために、祈って向かう。
今回も、自分の今最もの課題に、フォーカスが当てられた。
序盤から、まじか、こんなにも初っ端からわたしのための学びなのか(いつだってわたしのためのみことばなのだけれど!)、、
と驚きつつも、祈りの結果なのだとすぐにわかり、感謝にあふれながら大切に聞く。
その中で一つ神様が教えてくださったことがあって、それをいま静まりつつ祈っている。
ずっと祈っていたことの、一つの道を見せてくださった。
それはまた後日書こう。
主に期待するなら、必ず前進があることをこの日も体験した。
次への力となる。
主は生きた神、働かれる神。
わたしの信じている、唯一の神の御名。