南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
愛だけじゃだめか
愛だけじゃだめか

愛だけじゃだめか

子どもに仕える機会が与えられている。

彼らが成長するにつれ、関わるときに「知恵が必要だ」と思うことが増えた。

その日も、「あの関わり方はよかったんだろうか。愛がなかったのではないか。もっと豊かに関われたはずではないか」

そんなことがあった。

自分じゃどうにもできない。知恵は神からくると信じている。

だから、「知恵が与えられるように祈ってください」とあらわすと、

「どうして知恵が欲しいのか。愛じゃダメか。」と言われた。

わたしはそれに対し、愛だけだとむずかしいと感じる時がある、そう答えた。

愛よりもう少し具体的な知恵、つまり導き方の模範みたいなものを求めていたことに気づく。

周りの先輩たちを見ていると、知恵があってすごいなぁ、と尊敬をおぼえる。

上手に導いている。

ああいう言葉のやりとりや、判断、説明はわたしにはできない。

でも、そういうのができるようにならなければ。

この子たちの救いのために用いられたい。

だから、成長しないといけない。

知恵が欲しい。知恵があれば、ああいう風にできるんだ。

上手に導けるんだと。

でも、知恵が欲しいと祈り続けた結果、与えらえれたのはこの「愛すること」、ただそれだけだった。

いやむしろ、これこそが最大の知恵なのだと後になって気づく。

すぐに、「愛すること」で、関わることを始めた。

すると一気に楽しさと喜びが増した。

神に愛されているから、その愛のゆえに愛することは、決して難しいことではない。

愛することで考えたら、あの人のように、ああいう関わり方を、ということは、なくなった。

本当になくなった。

わたしに与えられているもので愛するのだから、自由がある。

神によって、御霊によって愛するから、栄光も神にある。

自分を誇る点は何ひとつない。

ものすごく解放された。

それは、奉仕に限らず、2人のむすこに対しても、他の誰に対しても、同じことだった。

何かをする時、これが正しいのかと考えることがある。

何ゆえの正しさを考えているのかも、曖昧なのに。

でも、動機が愛なら、やっぱり自由に動ける。

「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」第一コリント13:13

 イエス様の教えのすばらしさ。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)