(南足柄のきれいな桜)
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明日から、次男が昼寝をするタイミングで、「書くこと」をやってみることにした。
書くことと、家庭のバランスは、思っている以上に難しかった。
最近は、とにかく息子たちが寝たら、“書くこと”に時間を使っている。
その時間はいくらでも欲しいから、「とにかく早く寝てくれ」と思うし、それは言動にもあらわれてしまう。
寝ない=書けない=進まない=イライラ。
息子たちが寝たら書くことに集中できるよう、それまでに家事を終わらせる努力をする。
よし、息子たちやっと寝た、書ける!と思ったら、今度は夫が帰ってくる。このタイミングかと不機嫌そうにご飯を出す。食後にはコーヒーかお茶を。よし、さすがに書けると思ったら、「かまってくれ」とばかりに夫やってくる。
家庭の中もけっこう忙しいわけである。
でも家庭は大事にしたいし?、でも書くことも神様のためにやりたい。
バランスって、どうやって、いつ、とれるのだろうか。
そして、どこまでそれぞれに時間を費やしたら“バランスが取れている”と満足するのだろうか。
わからなかった。
そして、バランスも祈らされるようになった。
するとすぐに、この“やってみる”に導かれた。
神様は祈りの中に働いてくださる方、必ずこたえてくださる方であることを体験した。
明日からやってみる。
目的は、書く時間をつくることだけではなく、
長男に、「おかあさんが神さまのためにはたらく」ことを伝える。そしてその姿を見せていく。
その必要があることも教えられた。
彼の救いにつながることを願って。
彼がどんな反応をするのかは、わからない。
「おかあさんといっしょにブリオであそびたいのぉ」といつものようにやってくるかもしれない。
それを見て、わたしはやっぱり長男が起きている時は、書くことはできないと思うのかもしれない。
わからないけど、神様に結果をゆだねてやってみる。
だめだったら、次を考れば良い。
それも神様が教えてくださる。
神様が共におられるから、この「やってみる」ことも、平安のうちにチャレンジできる。
あすがたのしみである。