南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
目を覚まして
目を覚まして

目を覚まして

「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」ヨハネの黙示録22:12-13

平和ボケをしている。

家族で穏やかに過ごす時間が好き、のんびりと(大変だけれど)子育てをする日常が好き、ぽけっと気が済むまで好きな動画やスマホを見たい。

やりたいことだけを、好きな時間だけを、いつまでも過ごしていたい。

年末年始は特に平和ボケに拍車がかかっていた。

でも、それが一つわたしの誘惑になっていることを教えられた。

世は滅びに向かっているのに、世の生き方が心地よいと思ってしまう愚かさ。

イエス様が帰ってこられるまで、目を覚まして、神様がわたしに与えてくださっていることを果たすための努力をはじめた。

むすこたちと一緒にしていた最高に幸せな昼寝と、夜のダラダラする時間を卒業した。

子どもがいる中で、なにか作業をするのはわたしには無理だ。

でも、この2つの時間が与えられていることに気づく。

まずは、作業部屋に入り、賛美に満たされ、静まり祈る。

神の偉大さをおもいっきりほめたたえて、包まれて、今日も変わらずこの方がわたしの創造主であることを、告白する。

自分自身が被造物であることを認識・自覚していないと、自力での生き方が一瞬ではじまり、神から離れ、とてつもなく苦しくなる。

もう一つは、与えられた働きの作業をする。

まだ、神がこの中でわたしに何をさせようとしておられるのか、明確にはなっていない。

不安になる時も正直多いけれど、信仰、信仰、信仰。そうやって一日に何度も、神が、神ご自身の言葉によって強めてくださる。

だから、いまはできる準備をする。

「できればなにもやりたくない」と言っている夫を思い出す。

自分も、似たような人間であることを知る。

でも、2人で毎晩作業部屋に入り、共に祈って与えられている働きをする。

世と同じ日常を送りたいし、送ってきた生活から、わたしはいま、転換期をむかえている。

「見よ、わたしはすぐに来る」。

わたしはそれを信じる。

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