妄想は、神を信じる信仰を妨げる。
妄想は、おそろしい影響をもたらす。
どんなに神の言葉を聞いても、神の計画を見せられても、これから先にある祝福を信じたくても、妄想がそれを邪魔する。
自分の、ある意味ライフワークのようになってしまっているこの妄想という行為のおそろしさを味わう年末を過ごした。
ある程度のことを妄想しておけば、予想外のことが起きても、そのショックが少しは軽くなる。
わたしの妄想が止まらない理由である。
もちろん、やめたいと思った。
でも、そう思えば思うほど、妄想はさらに広がった。
離れるには、神の言葉に戻るしかなかった。
神の言葉を聞いて、神の計画を味わい、ただただ信じること。
何か見える形が欲しい、正直このどん底だった数週間はそう思ってしまった。
でも、見えないものを信じることができるのが、信仰であり、それが神から与えられているものであることを、深く味わった。
この信仰を使っているだろうか。
信仰で進むこと、その体験は自分が思ってるよりも少なく、「信仰で進ませてください」という祈りなくしては、実践はできないことも知った。
神がそれを教えてくださったから、妄想をはじめた瞬間、神のところへ行くことができる。
一日に何回も、何回も、それをくりかえす。