南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
2023→2024
2023→2024

2023→2024

どんな一年だったか。

あまり前進のない一年だった。

実践や伝道を願いつつも、

自分の性質にとどまる日々だった。

一年を振り返っている今でさえ、主が何をしてくださったか、よりも、自分の停滞に目が行く。

礼拝でこれらをあらわして、帰宅し、1人静まり神様に話す。

これがわたしの主観であるし、事実ではあるのだけれど、主が与えてくださった一年に感謝もなければ、恵みを数えることもしていなかった。

主にごめんなさい。そして、御霊の働きによって恵みを思い起こし、感謝がじわじわーっと心の中に満ちていった。

主の恵みはいつもわたしのそばにあって、主の支えと励ましを、個人的にもたくさんあじわった年でもあった。

しかし、自分の大変さにとどまったわたしは、やっぱり自分が主役で、次に子ども、次にかろうじて夫?というような状態だった。

なぜこんなにも前進がなかったか?

それは、自分の性質がわるいものである

と言う認識がなかったから。

どこかで良い、これくらいなら大丈夫、これがわたし、平気だ。

そう思ってるから、性質に対してnoと言わないし、むしろそちらへどっぷりの歩み。

ひとつみことばを聞いて、ひとつ実践しても、それ以上の前進や継続はなく、当然解放もないために、また性質のままを繰り返す。

それをはっきりと教えられた。

この瞬間からわたしは、自分の性質が悪いものだ、という認識がはじまった。

特に買い物、お金。

これが、わたしの性質の最たるもの。

買い物を嫌うことがはじまった。

買い物は好きだし、たのしい。でも、わたしにとっては、主から離れるものだから、嫌うことが必要だ。

これを話すと、自力やhowtoだと受け取っていただくことも多々あり、参ったな、、と、、

しかしこれは、自力じゃなくて、御霊によってだからできることだし、御霊によって可能であると信じたから、わたしはこれを始めるのである。

そしていつも行くドラッグストアへいった。

行き慣れた店内が、まったく違う景色に見えた。

主から離れるための世の誘惑があまりに多く、わたしにとっては落とし穴だらけであることが、はっきり見えた。

しかしわたしは、主からの圧倒的な守りに包まれ、店内を歩き、買い物をした。

必要なものだけ。

大好きな買い物を嫌いになることも、性質にnoと言うことも、わたしの中には御霊が働いておられるから、できるのである。

御霊によってできる、という確信がわたしを強めた。

救われていることの喜びを味わう。

そして、2024年のわたしの課題。

性質にnoと言うこと。そして、ただただ御霊の声に聞き、従うこと。

もう一つは、1人の人を救いに導くこと。

それがだれかは、わからないけれど、わたしを通して救われる人が起こされることを祈り願い、街に出ていく。

神の深いあわれみと、愛と恵みに

……

ハレルヤ。素晴らしい主の御名を心からほめたたえます。

拙いブログを読んでくださったお一人おひとりに心からの感謝と、祝福を祈って。

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)