ヨシュア記の学びをスタートした。
夫にお願いした。
「自分には訓練が必要だ。自分の思いや考え、出来事をおいて神の言葉を聞く訓練が。だから、聖書の学びを始めてくれないか。」
確かもう少しだけていねいにお願いした気がする。
それから毎晩、夫を通してヨシュア記が語られている。(むすこたちと寝落ちしてしまう夜もあったが)
彼は普段、ゆっくりのんびり話すけれど、学びになるとスパルタである。
当然である。的外れなことを言う妻を甘やかしてはいられない。
まだ息子たちが生まれる前にも、学びをしてくれていたことがあった。
久しぶりにスパルタな夫を味わっていて、わたしにもいよいよ緊張感がある。
この訓練を通して信仰が成長することを心から信じ、スタートした。