南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
伝える
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ヨシュア記の学びを通して受けとったことを、信じて祈って出かけた。
(ヨシュア2:6−13)

わたしは神によっていきます。
どうか、それを見た人たちが神様を見ることができますように。
そして、神を求める心が起こされますように。

今日、神様は一組の親子を送ってくださった。

信じて祈って出かけたから、神様が送ってくださった存在だとすぐに確信が与えられた。

祈りながら会話をした。祈りながら、神様に判断を求めながら、関わった。

わたしは神によっていきます。
どうか、それを見た人たちが神様を見ることができますように。
そして、神を求める心が起こされますように。

……

何が大変なのか、そのお父さんは話してくれた。

そして、わたしの子育ての話も伝えた。

子育ての話をすることは、わたしの中にいる神様を伝えることだった。

息子と同い年だという娘さんとも関わった。

今までの自分だったら、「うちの子がうちの子、よその子はよその子」みたいな考えと行動があって、関わることはしなかった。

でも、この子も神様が与えてくださった子だから、なにもおそれることなく行動している自分がいた。

そして、気付かされた。

何を話したとしても、どんな行動をするにしても、自分が神様によって生きるなら、それはすべて神を伝えることになるのだと。

……

神様を伝えたいという思いがある。

そして、それを実現するための“思い描く理想の会話”があった。

「福音を伝える」とか、「クリスチャンです」と伝えることとか。

そうした会話ができないと、「ああ今日も伝えられなかった。何気ない会話しかできなかった」と落ち込む。

そんな日々だった。

でも今回学んだ。

自分がすることと、祈ることのバランス。

伝えることの自力から、一つ解放を味わった。

伝えることの喜びと力を受けた。ハレルヤ。

 

 

 

 

 

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