何かを買うとき、わたしはよくブランドで考える。
「くつ ブランド おしゃれ」とか、「アウターブランド おしゃれ」とか、ほんとうに恥ずかしい話だけれど、大体そんなワードで検索している。
むすこにはかっこいい靴を履かせたいし、わたし自身もカッコいいロゴが入っているものを身につけたい。
そんなプライドがあるわけである。
でも少しずつ(ようやく)、自分がそんなところにプライドを置いていることに疑問を感じるようになった。
いずれ天に上げられるわたしが、天には持っていけないこの世の一時的なものに、なぜそんなにこだわっているのだろうか。
だれに見せたい?だれにかっこいいと思われたい?そしてだれの前で優越感に浸りたい?
結局そのプライドはくだらないもので、そこに価値を置くことは、人前での自分の見せ方をつくりあげる、というわたしの思い。
神様によって歩む姿ではなかった。
少しずつ、買い物の仕方が変わってきた。
ブランド物を買わないわけではない。
でも、絶対にこのブランドで買う!というこだわりから解かれ、柔軟に買い物をたのしめるようになった。
一つ解放されると、日々の歩みはまた一つ楽になり、たのしさは増える。
神によって買い物したと証できるように、という祈りと信仰がはじまった。