でも、聖書の学びを通して、「夫のように」はわたしに与えられているものではないことをはっきりと教えられ、その理想から解放された。
神がわたしにあるものを思い起こさせてくださったのである。
夫にではなく“わたしに”神が語ってくださること、わたしにしかない言葉、それを大事にしようと。
……
昔から自分には得意なものがないことで、自分の価値をとても低く見てきた。
楽器が弾ける、勉強ができる、絵が描ける、頭が良い、しゃべるのが上手、センスがある、とか。
だから、それができる人と自分を比べて、そうした能力を持っていない自分てなんなんだろう、と思ってきた。
救われてからも度々出てくる。
今回もそれが出てきたことだった。
でも、そこから解放されるのも、自分の存在を愛せるのも、神様がわたしに与えてくださっているものを味わうことによって。それはいつも変わらない。
救われていなかったら、わたしはいつも惨めな人生だったのだろう。
……
このブログも、「夫のように」が出てくると書けなくなる。
夫よ、あなたのせいにしてばかりで申し訳ない。
でも今、また書き始めることができた。
わたしの人生にはいつも神の働きがある。
だから、伝えることはたくさんある。
わたしに与えられているもので、わたしに働いてくださる素晴らしい神様を、伝えていこうと思い、再びこのブログを更新している。