家族が増えたことや、わたしが仕事を辞めたことで家計の管理に変化が必要になってきた。
いよいよ好き勝手やっている場合ではなくなってきたのである。
それがわかった途端、「よーし管理するぞ」とまずは意気込む。
“節約できる良い主婦”というまた新たな理想を目指した。
そうすると、今度はお金を使うことがストレスになった。
極端な人間である。
……
たとえば、ガソリン代が結構かかっていることがわかった。
「それならば平日はなるべく歩いて出かけよう。運動にもなるし」と良い変化もうまれた。
しかし一方で、「車に乗る→ガソリンが減る→ガソリン代がかかっている→ああ、ストレス。」
という状態に陥った。
他にも、「あっちのお店で買ったら20円安く買えるのに」とか、「このお店ならポイントがつくのに」といったストレスもはじまった。
たしかにこうした小さなことの積み重ねで家計に影響は出るのだろう。
しかし数十円やポイントに縛られている自分にとても違和感を感じた。
もうすでに神に満たされているのに、こんな世の一時的なものに縛られ、左右されて。これは神による歩みじゃない、と自分に教える。
そこまではわかった。でも、なかなか解放されない日が続いた。
そんな中で、1人の信仰者を通して、自分の視点がどこにあったのか、そしてどこに置くべきなのかを神様は教えてくださった。
満たすのは神であること。そして、わたしたち信仰者のこの世での歩みは一時的なものであり、天を見上げてこの地上を歩んでいくこと。
たった数十円、家族で出かけるためのガソリン代。わたしが世のものに縛られて節約したところで、それはわたしの努力にしかならず、そこに神はいるだろうか。
視点が変えられた。
それからは、神の恵みによって家計を管理すること、お金を使うこと、貯めること。たのしくなった。縛られていたものから、一気に解放された。
すでに、いつも、この家計が神に満たされていること、そしてこれからどんな必要性が出てくるのかわからないけれど、それも神が満たしてくださることへの感謝とたのしみがうまれた。
……
神によって歩むことを願っていても、自分がどこでズレているのか、何が神によってでないのか、わからないことが多い。
特に、子育て、家庭。世のやり方は多く知っているけれど、「それを神によって行うならどうすべきか」は分からないことが本当に多い。
これまではあまり相談してこなかった。
でも、自分で考えてもわからないから、神に祈ったり、その祈りのゆえで信仰の先輩たちに聞いたりするようになった。
神による歩みをしたいと本気で願うなら、1人で考えるのは本当にやめた方が良い。
今回は家計を通して、神によって歩む地上生活の視点が、また一つ新たにされた。