30分もかけて着替えをする眠たい夫に、わたしは遠慮なく早朝から話す。
「本人に言うのも何だけど、あなたを責める思いがある。この思いのどこが問題なのか教えてほしい。どうしたら良いか。」
もちろん神に話してから、夫にいよいよ伝えた。
「もっと息子に関することを手伝ってほしい。いや、何でしないのか。わたしはこんなに大変なのになぜあなたはそんなに穏やかな顔で眠っているんだ」「疲れている時に、こうした責める思いが出てきてしまう」と。
夫は責められているのに、相変わらず穏やかに「妻、愛しているよ」みたいなことを言って話にならなかったけど、しばらくして、
「役割で考えてみなよ」と一言置いて仕事へ出て行った。
役割って何だ、また定義を考えるのか。
一人静まり賛美し祈る中ですぐに教えられた。
わたしは自分の役割を忠実に全うするよりは、夫があれこれしないと彼を勝手に裁いていたことを。
夫を責める思いの問題はここにあった。
わたしは自分の役割に立つ。それを評価するのは神。それだけだ。
すごく解放された。
いま思い返してみれば、明らかに夫を裁いていることが問題だとわかるのに、御霊の助けがないと問題が見えない。
神様はいつだって人を変えることを教えてはおらず、自分がどうするか、どうすべきなのかを教えている。
イエス様がその模範である。
この方の跡を歩いていく道に祝福はどれだけあるだろう。
今日も役割に立ち、また、夫を愛する日に。