「用いてください」とは祈れる。
それは、「クリスチャンです」と自己紹介することや、「この人なんかちょっと違うな」と思われること、のイメージで。
でも「福音を語ることができますように」と祈るに至らないことが多い。
そんなわかりやすく具体的なチャンスが来るんだろうか。もしそのチャンスが来てもわたしじゃ対応できないんじゃないか。
そんな思いから「福音を語ることができますように」という祈りはなかなか始まらなかった。
でもわたしには語れる。神がわたしを、わたしに与えてくださっている賜物で用いてくださるから。
そこに立ったとき、「今日も福音を語ることができますように」。その祈りが始まった。
するとすぐにやってきた。しかも次から次へと、はっきりと、わかりやすく。
まだ救われていない魂が置かれている。それは、だれかの目の前ではなく、わたしの目の前に、あまりにも多く。
いつか、だれかが伝えるのではなく、わたしが、今日、福音を語ること。
偉大な神様、今日も福音を語らせてください。