お昼の箸がなかったので、約1か月ぶりにキッチンに入った。
感慨深かった。
いつも当たり前に立っていた場所なのに、今はそれがゆるされていないことがはっきりとわかった。
当たり前はわたしを傲慢にする。
キッチンに立つなんて当たり前にできることだと思っていたし、イライラしながら立つことが多かったな。
でもそこに立つことさえ、神のゆるしの中にあった。
次立てるのはいつだろうか。神がゆるすのはいつだろう。
一つひとつ当たり前が取り去られ、感謝することを神が教えてくださる。
その度に、わたしは神の力に生かされていることを知る。