南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
惨めさと感謝
惨めさと感謝

惨めさと感謝

美味しいご飯が毎日、三食、与えられている。

健診で赤マルがつかない程度を目指しておやつも頂く。

何もしていないのにお腹は空くので、動けなくなってからより一層食事の時間が日々のたのしみである。

でもご飯を食べていると、惨めさにおそわれるようになった。

何も動いていないのに食事をたのしみにしている自分。その姿はあまりに惨めで仕方なかった。

今でもそれはあって、どうしても涙がこぼれてくる時がある。

そんな中で、食事ができることが当たり前ではないことを教えられ、感謝もうまれてきた。

そして、神の家族が届けてくれる食事に癒されている。

自分にあるなら惨め、神にあるなら感謝。

キリストによって救われているのに、惨めなんて言っていいんだろうか。でも感じてしまっているから、神にもあらわす。

まだ惨めさと感謝が行ったり来たりしている。

解放されることを祈り続ける。

(写真は夫31歳のケーキ)

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