人の情報を知るのはおもしろい。
あの人が
家を買った。車を買った。
こう言っていた。こんなことをした。
転職した。仕事を始めた。
また悩んでいる。変なことを言っている。
あの人とまた揉めたらしい。
日々色々な情報を目にしたり、耳にしたり。
あるいは、自分に日々与えられる様々な出来事も、その情報の一つとなる。
時々思わされる。
その情報のどこに神が出てくるのだろうか。
知って、何になるのだろう。
話して、何になるのだろう。
ただ“知っている”という優越感で、自分を傲慢にしていることはあまりにも多いことに気づかされる。
大切な人の何かの情報を聞いた時、その人がその中で神をどのように体験したのか。
神がどのように働かれたのか。
どんな証があるのか。
情報が沢山あるのなら、その中での神体験も沢山聞けるはず。
次はそれを聞こう。
そして、それを祈ろう。