祈りを体験することが増えた。
その中で、“それを祈る目的は何か”。
これが大事だと思わされ、考え始めた。
経済が満たされるように。
人間関係が豊かになるように。
コミュニケーションができるように。
癒されるように。
守られるように。
あれができるように。
それを願い、祈る目的はなんだろうか。
ただ自分が満たされるためなのか。
ただ自分が気分良く過ごしたいからなのか。
たとえ同じ内容を祈っていたとしても、その目的がどこにあるかで、神にある祈りなのか、自己中心の勝手な祈りなのか、変わってくる。
私は、後者があまりにも多いことに気づかされ、祈りが少しずつ変わり出した。
与えられているものはもう十分過ぎるほどにあるのだから、神の栄光を考えた祈りを、神にある願いを、いつも祈っていこう、と。
夫にその話をしたら、同じようなことを思わされていたらしく、夫婦で1つ前進できた。
どんな祈りでも聞いてくださる神。
だけれど、神を考えた祈りを捧げ、祈りを通してもっと深く神と交わりたい。