南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
信仰の友
信仰の友

信仰の友

私は、信仰の友と共に祈ることができた。

神がこの機会をくださった。

これまで私はいつも祈られる側だった。  
でも今は、彼女のために祈りたいと思うようになり、いやむしろ、神によって祈らされるようになった。

いったい私は、彼女に何ができるだろうか。
長い間祈り求める中でひとつ分かったのは、祈ることしかできない。いやむしろ、祈ることができる!ということ。

何かをあげるとか、何かをしてあげるとか、目に見える何かをしたいと思っていたけれど、祈りがどれほどの力となるのか、私は最近知るようになった。

だから、祈りによって関われる喜びがある。

しかも祈りは、御霊を通して神に直接、いつでも、どんな状況でもできる。すごいもの。

私は、信仰の友という存在を体験した。
嬉しくて、神に繰り返し感謝した。

共に天の父を見上げ、共にこの地上を歩める存在がいることは、なんと幸いだろう。

 

 

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