教会の必要性を知る。
そして、自分はそこに対してどれだけ捧げられるかを祈り、応答をする。
それでも、私の小さな応答が、見せられている必要性のすべてを満たせるわけではない。そう思うと、応答することにネガティブになることもあった。
でも、神が満たしてくださる。神が結果を見せてくださる。私は自分ができることをし、必要性が神によって満たされることを祈り続けることが必要である、そう学んだ。また、わかったのなら、それを自分からスタートさせることが重要であるということも。
それからは、教会のために毎日祈るようになった。今までは漠然と時々祈ったり、祈らなかったり、そんな程度のものだった。でも、はっきりと教会の今の必要性を知ったからには、祈る責任があり、応答する責任があると思った。そして、与えられている教会の必要性に参加できることはうれしい。
教会は神のもの。神が満たしてくださる。そこに信仰を持とう。