仕事を通して、世の中の色々な問題を知る。
最近もそんなことがあった。
すると私は「普通に考えてこんなことはありえない」「どう考えてもこうであるべきだろう」と、自分の正義によって人を責め、裁くことに忙しくし始める。
でも、自分のするべき範囲のことではない内容だったりもする。それでも、どうにか問題を整理して、なんとか理解しようとする。
その結果はやはり、ただただ人を責める気持ちと、裁く気持ちでいっぱいになっただけだった。
虚しさを覚えた。
神を知りながらも、私はいつまで文句を言っているのか。
そして思わされた。
今この瞬間、神によって進むなら何ができるのか。
するとすぐに、問題の中にある人たちのために祈らされた。
「問題がある時こそ、祈れる理由だ。」
信仰の先輩がそう教えてくれたことを思い出した。