南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
キリストにある生活に(イントロ)
キリストにある生活に(イントロ)

キリストにある生活に(イントロ)

息子が生まれ、専業主婦になってから、早10ヶ月が経とうとしている。
この10ヶ月は、ほんとうに、信仰に立てないことが多かった。大体私は何かを振り返る時、“結果オーライ”で評価することが多いが、さすがにこの件に関しては無理だ。ほんとうに、全然信仰に立てなかったから。

暗い10ヶ月だったな、と思う。     
まず、子育てがこんなにも大変だと思ってなかった。大変だと思うその理由は、「(あまりにも)自分の思った通りに行かないから」。これしかない。人生の中で、こんなにも自分の思い通りに行かないことがあるとは、、と絶望した。だから子育てが始まってからは、それはもうストレスがひどかった。「ストレスが多すぎる。ストレスだからと言って、すぐになにか買うのをやめなさい」と夫が最近になって言い出し、確かに私はこの苦しさを「ストレス(だから買い物で発散しよう)」で片付けていることが多すぎる、と気づかされた。それはつまり、“生きている以上ストレスはしょうがない” と開き直り、全く前進のない状態だった。
そうやってストレスを感じる度、「子育てが趣味です」と自信を持って言っていたあの人を思い出すようになった。SNSを見ていると、子育てをキラキラと(しているように見えて)楽しんでいる世の人がいる。神を知らない人が子育てを楽しんでいるのに、神を信じている自分が子育てを苦しい苦しいと言っているなんて、一体どういうことなのか、、と何度も自分を情けなく思ったし、なぞなぞを解くような感覚だった。

そしてもう一つ苦しかったのは、家にいること(専業主婦)。こんなにも、自分にとって苦痛だとは思ってなかった。もうちょっと、上手くやっていけると思っていた。でも、どんなに自分の力で工夫してもその苦しさは変わらず、毎日が週末だったらいいのに、と何度も思った。

これまでも、自分の限界を見せられることは何度もあったけれど、仕事や他の忙しさを理由にして、何となくやってこれてしまった。でも、「生活」という毎日のもの・人生の土台をスルーするなんてことはできず。
「聖霊の力がなければ、本当に、何も、できません。力をください。」
この告白に至った。
息子を育てることはもちろん、夫を支えること、家を管理すること、与えられている生活を大切にすること。これらすべてが、神の助けなしにはできないことを教えられた。
神は何度も何度も教えてくださる。だからと言って、いつまでもだらだらとしている場合ではないが、今回、神の忍耐のゆえに、私はこの告白をすることがゆるされた。

 

                         

まだ続く。