南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
私の理想、からの前進
私の理想、からの前進

私の理想、からの前進

私は理想の多い女である。
食事はいつも品数沢山。お弁当は毎日違うおかずで、冷食を使わず、彩り良く。朝は気持ちよく目覚め、笑顔で夫を送り出し、それから家事をせっせと喜んでこなす。
誰とでも、仲良く。そつなく人間関係を。
子供が生まれたら、夫のいない昼間に、赤い車に乗ってスタバのラテを片手に、どこか遠くへ。…

そんな沢山の理想を持ちながら、出産を機に専業主婦になった私が見せられた、現実。
料理は気分が乗れば、楽しいけれど、大体はキッチンへ行くのが面倒くさい。お弁当をつくるのなんて、もっと面倒くさい。
息子は夜もよく寝るけれど、朝、私は恐ろしいほどに目が開かない。早朝に出る夫を見送るために、起きてみるものの、のんびり仕度する夫に腹を立て、早く行ってくれ、と思う。家にいる時間が長いと、鬱々としてきて、家事をやる気が起きない。
あまり話したこともない人に、あいさつをするなんて、どれほど勇気がいることか。
夫が仕事を頑張っている(であろう)時間に、お金を使うなんて、何だか後ろめたい。

理想があって、それになれる、とどこかで思っている自分。しかし見るのは、それがことごどくできない自分。そのストレスが、気づかぬうちに蓄積されていた。肉体が弱った時に、それらが明らかにされた。

この自分の理想は、一体どこから来ているのか?
…それは、世から。目にするSNSから。そして、周りの人を見て。

では、私が仕えるべき神は私に何を求めておられる?

それは、【神が与えているこの仕事を、神に頼って行うこと】

私が今までしていたのは、自分の理想を、自分で追い求め、困難を感じたときに「ちょっと神様助けてください」と祈る。そんな状態だった、と今はわかる。
私は外で働くことが本当に好きだ。だから、これまで、なぜだか家の中ですることに対しては“神から与えられている仕事”という認識がまるでなく、軽んじていた。しかし、神の家族との交わりを通し、この【妻、母】という役割が、“神から与えらえれている”“大切で、とても尊い仕事”であると教えられ、ハッとし、認識が変えられた。
それはまったく、自己満足のためにやるものではない!!

では、支えるべき夫は私に何を求めている?

必要な助けを聞いた。でもそれらの返答は、結婚当初から何度も言われ続けていたことで、新しく聞くものは何もなかった、、、。「あれ、これってずっと言ってくれていることだよね?」「そうだよ、だから僕はいつも言ってるよ。」愕然とした。自分の理想が強すぎて、夫が本当に求めていることを、正しく受け取っていなかった。夫の求めているものは、そんなに、いや、全然多くはなかった。感謝だ、、、。

私にとって、“自分の理想”というものは、自分を苦しめ、それによって自分の価値を決めてしまうものだった。もちろん、その理想が全くなくなったわけではない。しかしそこから、神にある、神の理想、に近づいていくと、心に平安と自由を味わい、喜びがあり、いつも神に愛されていることを体験する。困難を感じたとき、神が乗り越えるための知恵を絶対にくださると、確信を持って祈ることができる。なぜなら、神が与えている状況であり、知恵のお方であるから。

また一つ、神様が与えてくださる解放を味わった。
今日も、仕えられる喜びがある。