南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
悔い改めと使命感
悔い改めと使命感

悔い改めと使命感

ルカ9:57~62を通し「使命感」について学んだ。
ここで3種類の弟子の姿を見る。どの弟子も、熱心ではあるけれど、的外れな熱心さを持っていたり、まず自分を優先し、次に神に従っていたり、と真の弟子にはふさわしくない姿。
自分はどの弟子に該当するだろうか。いや、そもそも弟子という使命を忘れていないだろうか、考えさせられた。

この春、私たち夫婦は新しい生活が始まる。
夫は仕事が変わり、私は産休に入る。大きな家が与えられ、息子が生まれる。
そのために様々な準備をしている中で、私たちの頭の中に「こうなるだろう」、いや「こうなってほしい」と思い描くスケジュールがあった。しかし、それらがことごとく崩されていき、その度に「どうしてこうも上手く進まないのか」と落胆してはストレスを感じていた。

そんな最中にこの箇所を学んだ。
最近自分たちに強くあった、「こうなってほしい」という思いが、この「使命感」を忘れていたゆえのものであったことに気付かされた。つまり、私たちには、弟子としてやり遂げるべき大切な使命があったにも関わらず、自分たちのやりたいことを優先していたのである。ここに書かれている弟子たちと同じだった。これまでの傲慢さを、夫婦二人で神様の前に悔い改め、自分たちの与えられている使命に戻ることができた。

私はいつも、何かしら考え、悩み、独自のプランを立てている。(人には言えないほど壮大な妄想をいつもしている)
振り返ってみると、それらすべてがことごとく崩されてきた。
しかし、いつも想像以上に満たされている。今回もそんな気がする。
自分で計画を立て、それに向かって行動すること、また、自分の思いや考えも大切だと思うが、「それらが神様よりも優先されるものであってはならない」、ということを今回学んだ。

使命感がなければ、自分の考え、行動がぶれる。しかし使命感のゆえに行動するなら、目に見える結果がどうであれ、平安がある。それを体験しつつある。
唯一の神様は、悔い改め(罪を告白し、向きを変える)のチャンスをくださる、忍耐深く、また憐れみ深いお方である。