その直後は「結婚はまだ先だろう」とぼんやり思っていたのだけれど、それから1週間、「この人かもしれない」と心に思う相手がいた。その人は、ずっと昔から知ってはいたものの、話したことはほとんどなかった。しかし、当時関わる機会が特別多くあって、彼がどんな人かを知りつつあった。「私の問題を指摘してくれ、良いところも教えてくれる」、そんな人。
私は、こういう人となら、神様とともに歩んでいけるのだろうと思い、1週間祈っていた。まだはっきりとした確信がなかったため、「御心ならば前進させてください。そして、その確信を与えてください」と。
1週間経ち、彼と話をするチャンスが与えられた。彼がどんな人と結婚したいのかを聞き、私も同様に話した。実はその時のことを私はあまり覚えておらず(ふわふわ状態だった)、なんと言ったのかは定かではないのだが、多分、「神様にあって歩んでいる人」そんな感じのことを答えたのだと思う。前述にある彼の「問題をしてくれ、良いところも教えてくれる」は、まさにそれだった。神様がまず、そういうお方であるからである。彼の求めていたものも私の中にあったようで、その日、結婚をしようと決めた。実はその時、一瞬好みがよぎったのだが、一方で「この人だ」というはっきりとした確信が与えられていたため、決断することができた。
以前の、好みの塊だった私には信じられない決断。
この結婚は、神様がはじめ、導いてくださっているゆえに、栄光はすべて神様にある。だから、自分自身を誇ることは全くない。いつも偉そうにしている私ゆえに、このように心底思えるのは初めての体験だった。
結婚して8か月が経つ。彼は私の問題をしっかり指摘してくれ、良いところも教えてくれる。神様が与えてくださる祝福は、私の想像を遥かに超え、私を満たしてくださるということを日々体験している。