「話したいことがある」
私はこの言葉がすごく苦手だ。
これを言われると、「うわ、私は何をやらかしたのだろう」という不安に襲われる。(普段それだけ思い当たるようなことを私はしている)
昨日もそんなやり取りがあり、私はいつもの通りに「やだ!(今度は何をしたのだろう)」と反応した。すると、「またそうやってネガティブ!」と言われ、「ああまたネガティブな自分が出てきた」としばらく落ち込んだ。でも、今回の落ち込みは自己嫌悪だけで終わるのではなく、このネガティブがなぜいけないのか、までわかった。
それは、神様がこれから見せてくださるものを、自分の基準ではかってしまっているから。落ち込みながら祈っている中で、聖霊の導きによってそれがよくわかり、神様に悔い改めることができた。
前に夫とこのネガティブさについて話したことがある。
「これから起こることに対して沢山の心配をしていたら、実際にそれが起こらなかったときに大きな安心感と喜びが生まれる。だから、こうやって思い煩うことはそんなに悪いことではない」と。
すると夫は、「それは神のすることを自分の尺度ではかることになるよ」と答えた。それはつまり、これから起こる出来事を低く見積もっても、高く見積もっても、その自分のものさしで神のすることをはかっていると。「予想していたよりも悪かった」「予想していたよりも良かった」といった風に。
いつもいつも自分の願っている計画があるゆえに、こうしたネガティブな考えになってしまう。しかし神様は、こうして日々の何気ないような出来事を通しても、そんな弱さに気づかせてくださり、悔い改めと前進を与えてくださる方である。