南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
10/31
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夫のやすみ。

行きたい場所、やりたいことで頭も心も脹らむ。

しかし、今日は夫の大事な面接の日。

明らかに緊張している夫に「どうして緊張しているのだろう」と少しイライラしつつも、今日こそは妻として支えねば!と思い、いつもよりシャキッと、面接を中心にしてそれまでのスケジュールを立てる。

夫が弱っていると、わたしは全身が冴え渡る。

そして面接の時間、その場所が見えるところで祈りつつ待つ。

面接の日程が決まってから今日までの2週間、わたしたち(特に夫)心的にげっそりするほどのしんどい時間だった。

今日になってそれに気づく。

面接へ送っていく車中で、ふと聞いてみた。

いくら夫という存在であっても、ちゃんと聞いてみないとわからないことも多い。

「神様が与えてくださる道が既に用意されているのに、どうしてそんなソワソワするの?」

「次が決まっていない状態っていうのは、なかなかしんどいよ」

信仰があれば、そんなしんどさなんてないはずだ、と自分のことを棚に上げて思っていたが、夫の発言を聞いて納得した。

確かにしんどいよなぁ。と珍しく共感する。

それでも、この夫を神が知っておられる。

だから、わたしはそこに平安と信頼をますますおぼえた。

神が知っておられる。と夫はよく祈りの中や、導きの中で言うが、本当にその事実が、どれほどわたしたち夫婦を強めているだろうか。

「主よ、あなたがこの夫を知っておられます。信じます、信頼します、委ねます」

その祈りで送り出し、面接場所の近くで、祈りながら待つ。

ドキドキしつつ、あれこれ思いをめぐらす。

神様も夫の限界を知っておられるから、きっと今日決まるのではないか。(夫にはもう、次を探すエネルギーがなさすぎる)

もし決まらないとしたら?こんなに心身が疲労感でいっぱいのわたしたちだけれど、もっとひどく苦しい試練が来るのか?夫婦最大の試練??

何がどうなってもダメージが最小限になるように、わたしの予想を最大限膨らませる。

信仰で、と祈りつつも、どきどきはとまらなかった。

「心配をやめたら、この人暇になっちゃうんだから」と夫と友人に言われたその言葉は、きっと正しい。

結果は、この道が開かれた。

しかし次は、家計が大きく変化するだろうと、ぼんやりだけれど聞く。

お疲れさまを込めてのお出かけの予定だったが、家に直帰。

おかねを使ってはいけない。ちょっとコンビニ、ちょっとスーパー。ちょっと外食。

そんなことゆるされない。今までは本当にいい生活だった。神のあわれみ、夫の寛容さによってゆるされていた、わたしのたくさんの自由もこれでおしまいだ。。。

わかってはいたことだが、実際の数字を聞くと、文字通り、一瞬でお先真っ暗になってしまった。

道が開かれた感謝をする間もなく、次の不安へ。

祈りつつ、家計の管理をはじめていた矢先だったのに。

数十分そんな状態だったら、「あなたの心が平安で満たされることを祈っているよ」と(呆れながら)夫は一言。

この口数の少ない夫の一言は、わたしを神の方へ一気に戻す。

なんの共感もない夫に腹を立てつつも、神の方へ戻らされる。

「みこころを願って進むのに、経済的にそんなに変化することある?祝福が増えると思うんだけれど」

「むしろその方が多いよ」

夫は穏やかに返す。

祝福は経済的だけではないことを、わたしはきっとこれから味わう。

それを祈っている。

神に満たされて、神によって与えられたこの家計を、神と共に管理することを。

祈っていても、すぐに自分の弱さにいってしまうことは多い。

今日も驚くほどにそうであった。

大丈夫なんてことはなく、絶えず祈ることを教えられた。

だからまた祈る。

 

「この町に仕えたい」という夫の、そして夫婦の思いから始まったこの道。

夫もわたしも「楽しみだね」がとまらない。

いつだって何もしたくない夫の口から、そんな言葉なんて。この4年聞いたことがない。よっぽど楽しみなのだとわかる。

それが妻としてはとても嬉く、新しい一歩を主に感謝。

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