絶対安静になり、様々な協力が必要になった。
今わたしが1人でできる生活行為はトイレぐらいで、それ以外はすべて助けがないとできない。
頼むことが強制的にはじまる。
これまでは夫にあれこれ指図するとき、何の配慮もなくできていたのに、今はその夫にさえ歯を食いしばりながら言う状態になった。歯の痛みは増すばかり。
今これを言ったら疲れてしまうのではないか。相手が大変になるのではないか。色々考えて、でもお願いしないと生活できないから、ストレスを感じながらお願いする。
この状態に信仰はなかった。
信仰によって考えるなら、どうなるか。
「弱い者は助けを求めなさい」と聖書は教えている。それが、わたしの信じる偉大な神の教え。
それをはっきりと教えられ、目が覚めた。
私はこの方によって生かされている。この神が偉大だから、絶対的な神だから、わたしはこの方の言葉に従う。守る。
頼むことに対する様々な苦しみから一気に解放された瞬間だった。
この言葉を守るその先にどんな結果があるかわからないけれど、わたしはただ神の言葉を愛して従うこと。