自分に与えられている賜物はなんだろうか。
まず第一に「信仰」。それで進んできた(進まない時もある)。
では、他にはなんだろうか。
祈っていればいつかわかるだろう、そうぼんやりとしていた。でも、周りにはいつも賜物によって考え、行動する人がいる。そして「賜物で生きる」ということも繰り返し教えられている。
では、聖書は何と言っているか。
“それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。” Iペテロ4:10
神がこう教えている。私はそれに従いたい。
そして、「神の国はいつも前進しているのに、ぼんやりとしている場合ではない」と、居ても立っても居られなくなり、教会のリーダーの元へ押しかけた。
私の賜物は「伝える」。それがわかった。
確かに、伝える時には喜びがある。
それは、自分についてのことや、どうでも良い話ではなく、神にある体験を伝える時だ。神が真理であるから、堂々と伝えることができる。
これまでは何となく書いていたこのブログ。今は伝える賜物のゆえに書いている。
賜物がわかってから、自分のやるべきことが明確になった。