よく車を走らせながら、夫婦で色々な話をする。
その大部分を占めるのは、日々わたしの心にあるありったけの思いや疑問、訴えの整理の時間。
彼にそれをよく手伝ってもらう。
その時間は楽しく、主のもとへ導かれる時間だ。神がわたしたちの中心におられ、御霊がわたしたちの会話を導く、その安心と喜びがある。
この日の夜は、自分が最近ぶつかっていた、ある一つの考え方の話をした。
この考え方が何か変な気がするが、でもどうしてもその考え方に行き着いてしまう。
しかしそこに行き着く度にわたしが失っていくのは、教えられている神の言葉で前進していくこと。
という事実にも気づいていると。
…そんな風に、今直面しているありったけのことを話していく中で明確に教えられたのは、
この考え方は自分から出ているものであって、全く聖書から来ている考えではないということ。
彼との会話を通して、留まっていた自分の考えから主がゆっくりと離れさせてくださった。
慈しみ深い主にハレルヤ。
自分から出ている考えは、自分が思っているよりもまだまだ多くあることを知る夜だった。
だけれど、主はそれら一つずつを明確にしてくださり、神からではないものを置き、神ご自身の教えで歩むその道をいつも示してくださる。
その示しは、わたしを“少し”前進させるものではなく、ぐーーーーーんと先へ、導いてくれる。そこに主は共におられる。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」IIコリント 5:17
ハレルヤ。日々主の恵みがある。
