夫婦で「管理」を教えられた。
その翌日。図らずともその実践の場を主は用意しておられた。
御霊の働きを夫と共に豊かに味わわせて頂いた、最高の時であった。
その日、一つの場所を、感謝と共に一つの区切りを迎えた。
最後の最後まで、そこを管理することを導かれた。
手を動かしながら、やってみてわかったことがいくつもある。
一つは、自分がいつも誰かの管理の中にあったことを。
愛されてきたことを知り、主への感謝で満ちた。
礼拝に集中できること、賛美できること、そこで誰かと交わること、どれひとつ当たり前でなく、神を愛する人の管理の中でいつも迎えられていたことを、神は教えてくださった。
その気づきは、主への感謝だけでなく、それを次に流すことにわたしを導いた。
受けたから、流せる。流すために受けたのだと。
もう一つは、管理は、愛がなければできないということだ。
神を愛することと、人を愛すること。この二つを教えられた。
「わたしは管理している」「これは管理のゆえだから」「管理のために」等。。
最も簡単に口にできてしまう言葉であり、自己流の管理もいくらでもできてしまう。
そこには自己満足もたっぷりできるし、人の評価を目指すならそれもいくらでも。
しかし、これも神への信仰の姿勢であり、応答、そして礼拝なのだと深く教えられた。
そして、神を愛する思いは、人を愛することにつながるのだと。
教えられたこのことは、日々の管理を豊かにしていく。
主はいつもわたしの「信仰」を導いてくださる。そしてそれを使おうとしてくださる。
いつも主の最高の管理の中に生かされていること。感謝!
