ノートパソコンを買った。
夫婦で賜物を持って神に仕えることを考えた時、この買い物によってその働きが前進するという思いから。
「買いたいと思っています。でも、買うのか、買わないのか。神がそれを示してください。そして、神によって買ったと、あるいは神によって買わなかったと証させてください。」
そう夫婦で祈って出かけた。
買い物は、お金があれば、神なしで簡単にできてしまうこと。
わたしは「とにかく買う」ことに長けてしまっているので、そこに神を置いた体験は少なかった。
でも今回は、神が導いてくださることを心から信じて行った。
そりゃもうかっこいい最新のMacBook Airを買いたいけれど、神にこの買い物を委ねて。
すると、不思議な形で欲しかった商品が与えられた。
はじめはその商品がないと言われ、予算オーバーの商品を買うしかないのか、という状況になったけれど、神がどんどん導いてくださって、与えられた。
振り返ってみれば、予算オーバーの商品を買おうという考えがよぎったのは、自力で自分から出たものだったな。
買い物の帰り道、「必要性で買う」ということを夫婦で話した。
わたしは「あったらいいな」で買うことが多いので、最近の家庭のホットワードは「あったらいいな」。
今回の買い物も「あったらいいな」から始まったことだった。
でも夫は珍しく、買うということに乗り気だった。
「自分の欲しいものとなると、そうやってすぐ買っちゃうんだね」といやな言い方で夫に伝えると、
「二人ともこれがあることで働きが前進する。これが必要性。」そう教えてくれた。
ついにわたしは、「必要性で買う」という体験をしていた。
でも、MacBookがなくたって、働きはできる。だから、これを必要性と思っていなかった。
そんなこと言ったら、すべての買い物が「あったらいいな」が動機になってしまう。
考えれば考えるほど、必要性って何だ、とわからなくなった。
複雑になっていくわたしに夫は、ただシンプルに一言。
「これ(ノートパソコン)は必要?」
ああ、必要性を考えるとき、これだけでいいんだ。
祈りで始まった買い物は、想像以上に神を体験する時間となった。
必要性で買ったMacBookを使って、いまこのブログを書いている。
この買い物の結果を、わたしは今後も体験していくのがたのしみである。