最近風邪を引き、数日寝込んでいた。
一人隔離され過ごし、その間は夫が息子と過ごし、家事をやってくれた。
のんびりな男二人の生活音は、あまりにのんびりで面白く、延々と聴いていられそうだった。
夫が息子と数日も二人で過ごす、なんてことは初めてで、さぞかし私の日々の苦労がわかったかと聞いたら、「あなたのお世話の方が大変だ」と言われてしまった。
グズグズする息子の対応より、体調が悪くてもいつも通りわがままな妻の方がよっぽど大変なのだと。結婚当初は何でも黙って優しくしてくれた夫も、今はもう態度に出てしまっている。
こんなやり取りもあり、この数日を通して、夫の方が子育てに向いていると思った。他にもそう思った会話がある。
私は息子の泣き声がだめだ。できれば早く泣き止んで欲しい。でも夫はそれを苦に思わないようで、「泣きたいのにそれを我慢するような子になったら、大変だよ。お母さんがいなくて悲しいんだから、泣かせてあげようよ」と。
概ね理性的に、穏やかに、息子と向き合える夫が子育てをしたらいい。
家事に関しても、できれば働かずに家にいたい夫がやる方が、よっぽどいい。…これが私の思い。
でも、私の中には御霊がおられるから、自分の思いが働き始めると、それが神の御心とは違うことをすぐに教えられる。そして、神によって歩む道を選ぶ。
今回も御霊の働きによって、“向いている・向いていない”とか、“できる・できない“とか、そういう話ではなく、「神が私にこれを与えてくださった。だから私は続ける」。そこに立つことができた。(もちろん夫も子育てをするし、家事も協力してくれる)
“家事と子育て”。これらと向き合う時に、何度も自分の弱さとのたたかいがある。きっとまた、たたかう。でも、いつも神によって乗り越え、それを証する者でありたい。