病気になった。
肉体のつらさは半端なかったが、1人自由気ままにできる隔離生活は、ずっと続けばいいのにと思った。
下から聞こえてくる子2人の泣き声や、彼らを相手に日が暮れてもイライラ&疲弊し続ける夫から離れ、わたしは1人快適であった。
一晩中続く咳や、熱や寒気。精神的なつらさも嫌だが、肉体のつらさもとても嫌である。
でも、この時でさえ神様がおしえようとしておられることがあるのだから、と症状が少し軽くなってきた頃、それを受け取ることに集中をはじめた。
こたえはすぐに来た。
味とにおいがさっぱりわからなくなった。
食べられるし、いつも食べているそれらの味はよく知っているから、とても不思議な感じ。
色があった世界から、色のない世界になったような感覚だった。
さみしさをおぼえた。
また失って気づく。失って感謝をはじめる。
味や匂いも、神様から与えられている恵みなのだと。
そしてそれは、自分を満足させるためではなく、神をおぼえるために与えられていることも。
改めて知る。この方に日々のすべての瞬間、生かされていることを。
このことがなかったら私は、ベッドと背中がくっついたまま目も覚まさず、暗い部屋で好き勝手したままだっただろう。
わたしが神につながるために、働きかけてくださる神様のあわれみ。
数日経ってもまだ味も匂いもわからない。
何かを口にする度、神への祈りがうまれる。