南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
理想と与えられているもの①
理想と与えられているもの①

理想と与えられているもの①

夫を尊敬している。

ただ神によって、ただただ神の言葉によって自分を変え、変えられ、生きている人。

彼がみことばを聞いて何を受け取ったのかを聞くと、わたしは本当に恵まれる。

いつもそこにあるのは、神の言葉を愛するゆえの従順だから。

そんな彼といると、尊敬も度を越して「こちらも彼のようになれるのではないか、いやなりたい」

そんな思いが出てくるわけである。

みことばを聞いた後のディスカッション。

これは自分が何を神から教えられたのかをあらわす時間なのだが、ここで「夫のように」が出てくる。

“彼のように理性的で、シンプルで、誰もがうなずく一言を!”

でも当然わたしにそれができるはずもなければ、神がわたしに示されることは、彼とは違う。

だから理想的な彼のディスカッションができず、落ち込み苦しむ。

どう見たって疲れているお昼休憩中の夫に泣きながら電話。

「御言葉を聞くとき、やっぱり“あなたのように”が出てくる。どうしたらいいのか。あなたは今回何を受けとったのか教えてよ!」

多くをしゃべる妻に、今回も夫はたった一言だけ。

「その“どうしたら良い”をまず置かないと」。

そして、彼が学びを通して何を受け取ったかは教えてくれなかった。

「これがあなたの正解になっているから。あなたが解放されるまでは言わない」と。

妻に甘々な夫が、めずらしくはっきりとしていて強気の姿勢だった。

よっぽど自分がおかしい状態にあることを見せられた瞬間だった。

 

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